story

まどろみ続ける幼き龍。
 その目醒めの日はいつなのか──。

 アメリカのニューヨークを思わせる、しかし、この世界のどこにもない街、ネヴェリジェスタッド──。

 とある大陸の東の端、かなりの高緯度地方に存在するこの街に、暑い夏はほとんどない。一年の大半を支配しているのは冷ややかな春と秋、そして厳しい冬である。それでもこの街が完全に凍りつくまでにいたらないのは、近くの海を流れる暖流のためであり、その極端な温度差によって生み出される濃密な霧が、この街をこの街たらしめている。
 ネヴェリジェスタッドという地名は、もともと「霧深い街」を意味するオランダ語に由来するのである。
 その名から察せられる通り、数百年前の開拓時代にこの街を興したのは、オランダからやってきた移民たちだった。現在でも、街のあちこちにオランダ語由来の地名がいくつも残っている。
 以来、街が巨大化するにつれて、世界中からさまざまな民族がこのネヴェリジェスタッドに流れ込んできた。

 だが、今この街を支配しているのは、オランダ人の末裔でもなければそれ以外の移民者たちでもない。


 かつてのオランダ人に代わってこの雑駁な街を実質的に支配しているのは、健全な資本主義や共和制議会ではなく、ある種の──隠然とした、あるいはあからさまな──暴力である。
 オランダ移民に続いて押し寄せてきたイタリア系、ヒスパニック系の移民たちが、よりよい生活を求めてそれぞれのコミュニティーを作り上げた。その中から自然発生的に生じたのが、かのビッグアップルと同様の犯罪者集団──マフィアである。
 同胞たちのナショナリズムや利益を守るためという理念を失い、おのが欲望を満たすためだけに力をつけ始めたマフィアたちは、もはや警察権力ですら押さえ込むことのできない狂暴な獣と化し、街の覇権をめぐって構想を繰り広げ始めた。
 多くのマフィアたちがその争いの中で命を落とし、何の罪もない人々までが巻き込まれておびただしい血を流した。濃い霧が赤くけぶることも珍しくない流血の日々に、街は荒廃し、人々は恐れおののき、マフィアたち自身が自滅≠ニいう皮肉な二文字をようやく脳裏に思い浮かべ始めた頃──コミッション≠ェ誕生した。

 かつてニューヨークに存在したそれと同様、この街のコミッション≠烽ワた、無数の犯罪組織の連合体である。ただし、この街のコミッション≠ヘ、ニューヨークの同類よりもはるかに巨大で、しかも厄介だった。
 彼等は無益な抗争によってたがいに疲弊することを避け、この街を共同の狩り場≠ニすることにした。コミッション≠ノ加盟した組織は、それなりに平和的な話し合いによって、無駄な血を流すことなく共存共栄への道を歩み始める。時に裏切りや小競り合いはあるものの、以前のような組織同士の潰し合いにまで発展するような抗争がほとんど生じなくなったのは、明らかにコミッション≠フ存在によるとことが大きい。

 もっとも、マフィアにとっての幸福は、街の住民にとっての不幸である。
 大規模な衝突がなくなり、おのおのが直接的な暴力を振るわなくなった反面、彼らの手口は巧妙さと陰湿さを増し、もっぱらその矛先が街の住民に向けられるようになったのは、至極当然のことといえる。
 麻薬売買、密売春、武器密輸、人身売買、臓器売買──この街でコミッション≠ェあつかわない犯罪はなきがごとく、そしてそのすべてがここでは日常茶飯事だった。彼らの前では、人々は文字通り牙を持たない獲物≠ノすぎない。
 よきにつけ悪しきにつけ、この街は、コミッション≠中心として回っている。彼らがこの街の真の支配者であることは論を待たない。
 しかし、そんなコミッション≠フ面々ですら慄然とせざるをえないモノがこの街には存在する。霧の向こうから近づいてくるひそやかな足音を聞く時、傍若無人な悪党どもですら、一転して非力な獲物≠ニ化す──そんな絶対的な捕食者≠ェ、この街には存在する。
 ある者は雷に撃たれ、またある者は冷たい川に浮かび、またある者は焼死体となって発見された。いずれも不自然な死にざまであり、何者かによる暗殺という可能性もありえたが、同時にそれは人の仕業とも思えなかった。
 暴力のプロオであるはずの仲間が次々に変死を遂げるのを目の当たりにして、コミッション≠フ幹部たちは、姿なき捕食者≠スちの影に戦慄したが、いまだその正体を掴めずにいた。
 順風満帆といえる現在のコミッション≠ノ、何か憂慮すべき点を見つけるとすれば、それはおそらく、この件についてということになるだろう。


 その少年は、彼を知る者たちから、ルーツと呼ばれている。
 ルーツが何者なのか、それは誰も知らない。
 ルーツの数少ない知人たちですら、真に彼を理解することはできないだろう。
 この少年について彼らが知っていることといえば、ルーツという名前と、彼が丘の上の名もなき教会の地下でいつもまどろんでいるということ。
 そして、自分たちが決して逆らうことのできない相手だという厳然たる事実。

 ルーツの周りには七人の男女がいる。

 灼熱の剛拳、テオ。酒と喧嘩を愛する直情径行タイプのタフガイ。真正面からの殴り合いを好むが、その拳にはすべてを焼き尽くす力が秘められている。

 凍える炎、ナナ。七人中の紅一点で、テオの恋人。何を考えているか判らない無口な美女で、異様な寒がり。相手を体内から焼き尽くす炎の使い手。

 気高き雷獣、キリン。ワインとクラシックを好む、ルーツへの忠誠心に篤い銀髪の美男子。強力な雷撃を自在にあやつり、超高速で移動することができる。

 沈思する烈風、クシャル。苦行僧めいた横顔を持つ無口なバイク乗り。真空の刃を生み出し、敵を斬り刻む。全身の皮膚が錆びて剥がれ落ちる奇病にかかっている。

 異貌の風流人、ナズチ。日本趣味に傾倒する風流人。口が達者すぎて皮肉と薀蓄が多すぎるのが珠に瑕。他人の目から自分の姿を完全に消し去る特技を持つ。

 大山鳴動、ラオ。がっしりした体格の大男。外見に似合わず意外に読書家、かつ愛妻家。銃弾すら跳ね返すその肉体と、超絶的なパワーが何よりの武器。

 神の声を聞く賢者、神父。手で触れた有機物を腐敗させる能力の持ち主。個性豊かな七人をまとめる軍師役であり、ルーツを守る最後の壁でもある。

 彼ら七人がルーツを守っているのか、あるいは七人がルーツの庇護のもとにあるのか、それさえもさだかではなかったが、彼らがルーツの意志を代行する存在だということに変わりはない。
 すなわち、ルーツの見る夢にしたがって、七人は弱き者のために悪党たちを喰らうのである。
 それが街の小悪党だろうと、コミッション≠フ大幹部であろうと、彼らには些細な問題でしかなかった。相手が何者であろうと、七人の前では平等──無力という意味ではみな同じなのだから。
 七人はただ、弱き者のため、人の哀しみを夢に見る少年のために、その力を振るうだけだった。


 これは──霧の中にひそみ棲む、龍の影を持った殺し屋たちの物語。

 ──しかし、彼らの存在を知る者はまだ少ない。

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